前回からの続き

「社会、倫理、科学、哲学、郵便、主観、客観、意識、時間、思想、失恋、現象、効果、教養、空間、概念、環境、気質、栄養、接吻」という単語に共通する点について、あなたはわかりますか?そうです。こうした今やごく「日本語的な日本語」は明治期に、相当する英語やラテン語に新しい「和製漢語」をあてがって、そのまま日本語に輸入されたものなのです。

新しい言葉を作る必要があった理由は、「相当する日本語」がなかったからであることは明白です。だからこそsocietyを社会という漢字であらわして日本語に取りこんだわけです。このあたりは歴史や国語で教わるところでしょう。

ところがここであらためて考えてみますと、「それに相当する日本語」がないということは、実は「それに相当する概念」そのものがなかったことと同義だということにも気付きます。というのも言葉や文字を介さずに概念を社会で共有することは現実的には不可能だからです。

すなわち、「社会」という概念、「空間」という概念がなかったからこそ、これらを表す言葉を輸入することによって「概念そのもの」を輸入したというのが、より正確な理解だともいえます。こうしたことから「新しい概念」と「新しい言葉」は切っても切り離せない、対の関係にあるということがわかるのではないでしょうか。

驚くべきことですが、ここで論じている「概念」という単語に至っても、ラテン語conceptioに和製漢語をあてがったものにすぎません。すなわちこのことは、明治以前には「概念」という「概念そのもの」がなかったことを意味します。輸入当初は極めて限られた人にしか知られていなかった専門用語conceptioは翻訳と時代を経て、今や当たり前の日常用語、日常概念となって私たちの思考を豊かにしてくれています。つまり、新しく言葉を輸入するということは「新しい概念という知的財産」を輸入・共有することそのものなのです。

つづく

総合内科専門医/臨床心理士
飯島 慶郎
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