手術で腕のリンパ線を取ってしまったので、母の右腕はリハビリしないと上がらない状態になってしまっていました。

「このかんじ・・・あの時の苦しみがよみがえるわ・・・」
そう言ってぼやいていた母。
「あの時の苦しみ」というのは、うちの家族ならば誰もがよく覚えている、母の四十肩でした。

五十肩にはならなかったのですが、四十肩がひどく、腕が上がらない!とよく騒いでいました。あるところまで上げると、それ以上は痛くて上がらなくなるというのです。

私はまだそんな経験をしたことがないので、全く分かりませんでしたが、今回の右腕のリハビリが、あの忌々しい記憶を呼び起こすらしく、母は「あの時は本当に大変だった」と何度も言いました。

そうはいっても、リハビリをさぼっていてはいつまで経っても腕は上がるようになりません。
そこで、父は、部屋の柱にメモリをうって、まるで孫が遊びにくるたびに背丈を計って印をつけるようなイメージで、母の手がどこまで上がったか記録できるように環境を整えました。

母は何かこう、自分自身に対する負けん気がとても強い人で、目標を与えられたり、あるいは自分で目標を定めたりすると、がぜんヤル気を出すのです。
今回の記録方法も、父のアイディアの勝利で、見事に母のヤル気を引き出しました。

母は毎日柱のところで手をあげて高さを測り、「昨日よりちょっと伸びた」というのを嬉しそうに家族に報告していました。

その甲斐あってか、わりと短期間で、日常生活を送る上では全く支障がないくらいには腕の稼動領域が広がりました。

しかし、右腕に大きな負荷をかける事は禁じられていたので、そこはリハビリではなく周囲の人間がカバーすることになりました。
重い荷物は他の誰かが持つという事になり、母は何も言わずに全部自分でやろうとするクセがついていたため、きちんと自己申告英で重たい荷物は持ってもらうという約束をとりつけました。

こうして、家族全員のサポート体制のもと、母の日常が少しずつ戻ってきました。

がんの患者会
母と家族のガンとの闘病記

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